アディダス スタンスミス – 世界で最も売れたスニーカー

世界中に知られているスニーカーの不朽の名作といえば、フランス製のスニーカー、アディダスのスタンスミスが筆頭に挙げられるでしょう。機能性と上品さが共存する稀有なシューズであり、世界で最も売れたスニーカーともいわれています。フランスのテニスプレイヤー、ロバート・ハイレットのために作られ、その後創業者の息子であるホルスト・ダスラーによって現在のモデルが作られた背景には、様々なドラマがありました。

アドルフ・ダスラーとルドルフ・ダスラー

世界的なスポーツブランドとして現在名を馳せているアディダスは、1920年に二人の兄弟がドイツで始めたブランドで、ドイツの靴職人の息子だったアドルフ・ダスラーとルドルフ・ダスラーが設立した「ダスラー兄弟商会」がその始まりです。それぞれのスポーツに合わせた専用の靴の開発にこだわったダスラー商会は大変な評判になりますが、次第に二人の気質や考え方の違いが目立つようになり、争いが絶えなくなります。1948年に二人はとうとうダスラー兄弟商会を解消し、それぞれ独立したメーカーを立ち上げます。

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スタンスミスのバックシルエット

弟のアドルフが自分の名前をもじって「アディダス」を立ち上げ、兄のルドルフがのちの「プーマ」を立ち上げたことは、スニーカーファンには有名な逸話となっています。両者はそれぞれスニーカーの開発研究を重ね、どちらも世界的なスポーツブランドを確立していくのです。

原点となったハイレット

スタンスミスの原型となったハイレットモデルは、1965年、フランスのプロテニスプレイヤーロバート・ハイレットのために作られました。アディダス社は1960年代にドイツからフランスに進出し、さらなるスポーツシューズの可能性を追求していました。そんな中、全仏テニス選手権でクオーターファイナリストになったハイレットのために、アドルフの息子のホルスト・ダスラーが中心となって、軽量化した革製のシューズを開発します。当時キャンバス地が主流だったスポーツシューズの中で、革製のスポーツシューズは難易度の高い挑戦でした。通気性を確保するための空気穴など、様々な工夫を重ねたため、完成までには1年という長い年月がかかりましたが、その優れた機能と、真っ白なアッパーにグリーンの差し色を使った洗練されたデザインのシューズは大ヒットし、瞬く間にアディダスを代表する商品になっていきました。

アディダス スタンスミスの誕生

ハイレットは、彼が1971年に現役を引退した後も発売されていましたが、アディダスにとっては新たな選手とのシグネチャー契約は避けて通れないものでした。ハイレットの引退後、以前からハイレットモデルを愛用していたアメリカ人テニスプレイヤーのスタン・スミスに白羽の矢が当たり、5年間の新たなシグネチャー契約を結びます。これはアディダス社にとっては一種の賭けでした。当時、スタン・スミスはすでにトッププレイヤーではあったものの、スター選手としての将来が約束されているわけではなかったからです。しかし、その後スタン・スミスは様々な大会で素晴らしい成績を残し、1987年には国際テニス殿堂入りまで果たすテニス界を代表する人物となります。

当初5年間だったスタン・スミスとの契約は更新され続けました。そして、1978年にハイレット自身のサインが消え、スタン・スミスの似顔絵と彼のサインが描かれたスニーカー、スタンスミスが発売されました。ハイレットモデルの廃止は多くのファンに残念がられたものの、このスタンスミスは大ヒットを記録し、いまでは世界一売れたスニーカーとまで言われるようになっていきます。

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スタンスミス氏 右側

スポーツシューズからファッションアイコンへ

1980年代後半から高機能のスポーツシューズが次々に発売される中、スタンスミスはスポーツシューズとしては下火になっていきました。しかし2000年代に入ると、今度はシンプルなデザインと上品なシルエットが、ファッションアイテムとして再度注目を集めるようになっていきます。若い世代を中心にスタンスミスを新たに買い求める層が増え、新たなバリエーションが発売されるようになりました。ファッションモデルがジャケットやスーツなどに合わせてユニークなコーディネートを披露する姿も多くなっていき、世代やスポーツとファッションの垣根も超えて、新たな地位を確立しています。

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スラックスにも合うスタンスミス

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スタンスミス氏 - 2014年

“Editors Voice”

僕がスタンスミスに出会ったのは高校生の頃、たぶん2000年前後のメンズノンノだったと思います。パリのコレットというセレクトショップに勤めていたギョームというパリジャンが、太めのカーゴパンツにスタンスミスを合わせていて、ラフなんだけどシンプルで上品で本当にかっこいいスタイリングに高校生の僕は大いにやられたのでした。後にディオール・オムのデザイナーも務めることになるクリス・ヴァン・アッシュの初期のコレクションでもスタンスミスが使われたり(たぶん)して、何足か買って履いた記憶があります。

2012年頃に一度発売中止になって、なんでこんな定番を廃番にするんだ?と心からアディダスに憤っていましたが、2年後くらいに再発売されることになって、たまたまニューヨークで売られていたのを見てすごく懐かしくなって思わず買おうと思ったのですが、再販前の5割増しくらいの価格を見て、発売中止はアディダスのマーケティング戦略だったんだということを直感的に理解してしまい、なんだか白けてしまって買うのをやめたのでした。

それから帰国したら日本でもスタンスミスブームが始まっていて、自分も履きたいのに履けずにモヤモヤしていた時に、ニューヨークに一緒に行っていた友達が誕生日プレゼントにスタンスミスを僕にくれたのでした。そのスタンスミスが今のところ僕の最新のスタンスミスになっているわけです。 - Muneaki Suzuki

スタンスミスをもっと知る一冊

スタン・スミス自身のテニスプレイヤーとしての人生、「スタンスミス」のシューズにまつわる15のストーリー、そして人気アーティスト、ファレル・ウィリアムズが語るスタン・スミスの人物像、歴代のスニーカーなどを紹介。この1冊に「スタンスミス」が築いたカルチャーや魅力が詰まっている。

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