"運命"という名で親しまれる「交響曲第5番ハ短調」は、クラッシック音楽の中で最も有名な曲の一つとして、いまでも存在感を放っています。耳の疾患により聴覚を失いかけていたベートーヴェンは絶望の淵に立たされてなお音楽に向き合い続け、人生を肯定し人類全体を鼓舞するような音楽を作り続けました。その中で生まれた"運命"は特に傑作と呼ばれ、交響曲史に燦然と輝く不朽の名作です。
フランス革命と難聴 芸術の追求
ベートーヴェンが運命を作曲した1800年代初頭はフランス革命の影響もあり、それまで音楽の占有者だった貴族階級が没落しはじめた時期でした。ベートーヴェン以前の作曲家は貴族や宮廷に雇われていましたが、貴族階級に変わって台頭してきた市民階級がの富裕層は、作曲家を雇うのではなく自由に作曲できるように彼らを支援するようになりました。
また、ベートーヴェンは20代後半から難聴が進み、一時は自殺を考えるほどに追い込まれていました。しかし、芸術を追求する一点にのみ希望を持ち続け、音楽家としての生涯を全うすることを選択したのでした。

ベートーヴェンが書いた遺書。難聴の苦悩と病気を克服したい気持ち両方が書かれている。ベートーヴェンが亡くなった後の1827年3月に発見された。
フランス革命がもたらした音楽家の解放という新しい時代の流れの中で、傑作の森と呼ばれる1804年からの10年間にベートーヴェンは次々と新しい曲を世に送り届けます。その時代に生み出されたこの交響曲第5番"運命"は最高傑作の一つと考えられています。
苦悩から歓喜へ "運命"の物語性
ベートーヴェンは運命を作曲するにあたっていくつかの革新的な手法を用いています。第三楽章と第四楽章を間断なく続けて演奏させたり、交響曲で始めてピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンを用いたりとそれまでの常識を打ち破っていきます。
これは第一楽章から第四楽章まで作品全体を一つの物語のように構成するためでした。ベートーヴェンはこの交響曲で苦悩から歓喜へと続くストーリー、人間が人生に立ち向かって行く様を表現したのでした。
第一楽章はAllegro con brioと指定されたソナタ形式で、有名な運命のモティーフを第1主題にし、対照的に緩やかな旋律を第2主題とする典型的な形式となっています。人生の苦悩、深刻さを表現するような重々しい雰囲気が楽章全体を包んでいます。
ソナタ形式とは第1主題、第2主題と2つのモティーフが現れる「提示部」、それらを発展させていく「展開部」、再び提示部が戻ってくる「再現部」、そして全体を締めくくる「コーダ」という構成で、漢詩でいう起承転結のような楽曲構成法です。この楽章で扱われる第2主題は、最初に提示されるときには変ホ長調で演奏され、一連のソナタが奏されたあと再び提示されるときにはハ長調で奏でられます。
第二楽章は変イ長調の変奏曲形式です。ヴィオラとチェロによって奏でられる優しげな第1主題と、木管と金管によって奏でられる力強い第2主題が、次々と変奏されていく楽章です。第一楽章で困難に直面した人間が、どうにかして人生の荒波に立ち向かって行く様子を表現しているように聴こえます。
第三楽章はハ短調の複合三部形式となっています。伝統的な交響曲では第三楽章にメヌエットを配していましたが、ベートーヴェン以降はそれよりも短くリズミカルなスケルツォが用いられています。第四楽章は第三楽章から続けて演奏されるハ長調のソナタ形式で、速度もPrestoで非常に早く、トロンボーンなどの効果もあり極めて華やかで明るく力強い楽章と言えるでしょう。この曲のテーマでもある「苦悩から歓喜へ」「暗から明へ」を締めくくるフィナーレとなっています。
演奏上の問題
ベートーヴェンの指定している繰り返し記号は録音技術のない時代に想定されたものです。当時は現代のように誰もが自由に音楽を聴くことができる環境ではありませんでした。そこで、作曲家は自作を初めて聞く聴衆のために頻繁に繰り返しを指定することがありますが、現代において演奏される場合は、多くの人が聞いたことのある楽曲を演奏するので、執拗な反復は避け、繰り返しが省略されることもあります。ただし、この運命の場合、第一楽章ソナタ形式の提示部における繰り返しが省略されることはほとんどなく、多くの演奏家がそのまま繰り返して演奏しています。逆に第四楽章のソナタ形式提示部では指定されている繰り返しが省略されることがほとんどです。
速度についても第一楽章のアレグロと第四楽章のプレストの解釈の違いから、指揮者によって演奏時間に大きな開きがあります。一般に20世紀初期のいわゆる巨匠と呼ばれるような指揮者たちの演奏では、荘重な雰囲気でやや遅めに演奏されていることが多くあります。史上最も有名な交響曲であり、誰もが一度は聞いたことがあるクラシック音楽の代表のような名作なので、複数の指揮者による演奏を聴きくらべられる音源も発売されています。
また、第一楽章第2主題提示部では冒頭のメロディがホルンを用いて演奏されるのに対して、再現部ではファゴットを用いて演奏されます。これについてベートーヴェンの指定通りファゴットで演奏されるべきだという意見と、再現部もホルンで演奏されるべきだという意見が対立しています。ホルン派の根拠は、「ベートーヴェンの時代のホルンは再現部で指定した音を出すことができなかったからファゴットを指定したのであって、現代のホルンならその音域をカバーできるのだからホルンで演奏するべき」というものです。それに対して、ファゴット派の主張は「ベートーヴェンの自筆譜を尊重するべきだ」「ホルンは管を持ち替えれば、当時でも問題なく演奏できるのだからファゴットを指定したのは意図的だ」とするものです。現代ではほとんどの場合ファゴットで演奏されます。
Top画像:Beethoven Wikipediaパブリックドメイン
“Editors Voice”
ジャジャジャジャーンというあの音は、たぶんこの文章を読むほとんどすべての人の頭の中で勝手に響いていしまう位にあまりにも印象的な音色ですが、その音色は、音楽史上最も有名な作曲家が、難聴によってほとんど死のギリギリまで悩んだ末に作ったものだということを知る人はそう多くはないのかもしれません。
音楽家にとって耳が聴こえないというのは、ほとんど死に近い感覚があるのではないかと思いますが、それを乗り越えて自分が追求する芸術を唯一の希望として生きたベートーヴェンの生き方には、とても大事な学ぶべきことがあるように感じます。
ところで、この曲が運命と呼ばれるようになったのは、ベートーベン自身が「運命はこのように戸を叩く」とあの音色のことを呼んだから、と言われていますが、これはベートーヴェンの秘書だったアントン・シンドラーという人が書いた伝記に記されていたものです。しかし、後年になってシンドラーは色々と捏造をしていたことが発覚し、いまではこの説はあまり信じられていないそうです。
ただ、僕が不思議に思うのは、このシンドラーが書いたエピソードがたとえ捏造だったとしても、この交響曲のテーマをこれほどまでに的確に表すことばは"運命"以外にありえないような感覚を覚えてしまうことです。
みなさんはどう思いますか?- Muneaki Suzuki