山口周の新刊「ビジネスの未来」を読んだ。
独立研究者・著作家・パブリックスピーカーの肩書で活動する山口さんは、広告代理店、コンサルティングを経て独立し、ベストセラーとなる本を何冊も出している。
その中で、ビジネス・生き方におけるアート的思考(まるでアーティストのように活動に取り組むこと)が重要になることを説いているが、著者がいうアートは、我々が一般的にイメージするいわゆるアートとは少し異なる。
詳しくは著作を読んでいただきたいのだが、簡単に順を追って説明する。
まず、いわゆる近代化が進む前の世界では、衣食住に関わる不便さ・具体的な問題・課題がたくさんあった。世の中は不便であり、「ああ、こうだったらもっと便利になるのにな」という理想も簡単に想像できた。(例えば冷蔵庫があればなぁ、など)
現状と理想のギャップ=問題なので、問題を解く力=課題解決力が重宝される世界であった。そして課題を解決し続け、拡大したのが「企業」である。
現パナソニック、旧松下電器創業者の松下幸之助が創業時に掲げた「使命」には、「生活物資を無尽蔵に提供して、貧困をなくす」ということが書かれており、現代社会、特に日本ではその「使命」は「既に達成されているのではないか」=「解かれるべき問題はほぼ解決されている」という点が出発点になっている。
我々はある意味でゲームをクリアしており、既に素晴らしい世界は到来しているのだと著者は捉える。
ゲームがクリアされている世界=解かれるべき問題がほぼ解消された世界、で何が起こるかというと、これまで重宝されてきた課題解決能力が飽和する。
逆を言えば、問題が希少化していく。その世界で重宝される能力とは、問題を見つける力=アート的思考能力である。
著者はアートの役割を「問題提起」と仮置きしており、これからの世界では、アート的思考能力が重要だと述べている。
そうなると、解かれるべき問題がほぼ解消された世界で我々が何をやるのか?という疑問が生まれる。著者は「社会を生きるに値するものに変えていくこと」こそやるべきことで、それを大きく分けると2つしかないと整理する。
1.社会的課題の解決=経済合理性の外側にある未解決の問題を解く
2.文化的価値の創出=生きるに値する社会にするモノ・コトを生み出す
大雑把に言えば「やりたいことをやる、やらずにはいられないことをやる」のである。
それは衝動に突き動かされてやるということで、つまり、「表現をせずにはいられない」という衝動に突き動かされて表現活動をするアーティストのように生きろ、ということなのだ。そこでは経済合理性は二の次になっている。
誰かを助けずにはいられないこと、これが面白くてやめられない止まらないことを、衝動的な血気、「アニマル・スピリッツ」を持って実行するのである。
アニマル・スピリッツとは、ジョン・メイナード・ケインズが1936年に書いた「雇用・利子および貨幣の一般理論」で使った言葉である。この言葉をケインズは「経済活動にしばしば見られる主観的で非合理的な動機や行動」という意味で使った。(wikipediaより抜粋・要約)
ビジネスは本来的に理論で動くものではなく、感情・衝動が動かすのだと20世紀を代表する経済学者が既に書いている。
この事実を私達はしばしば忘れて、経済的合理性の内側にある問題だけを解こうと必死になる。そうなると、経済合理性の外側にいる弱者が取り残されて行く世界になってしまうのだ。
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「アニマル・スピリッツ」ということばはケインズ以前も度々使われていたようだが、ロバート・ヘンライ著「アート・スピリット」という本がある。
1923年の刊行以来、デビット・リンチ、キース・ヘリングなど、アメリカのアーティストたちの間ではバイブルとして位置づけられている本のようだ。その中で著者のヘンライは「芸術家とは生まれながらにして巨匠である。人生の全てを芸術にかけろ」ということを繰り返し述べるのである。
また、ヘンライは、時として芸術家と科学者の境目が曖昧になることや、自分を表現しようと追求しようとしている人の中にはいつもアート・スピリットが宿っており、その表現方法は絵画や文学だけに留まらず、時としてビジネスがその表現になりうるといったことも言及している。
読み方によっては、著名な経済学者とアメリカの芸術家のバイブルが同じようなことを言っているとも読める。
余談ではあるが、本書はパレットに置く絵具の順番を細かく定めることや、デッサン・物を観察することの重要性など、結構細かいルールについても言及しており、何事も基本やルールがあるのだということを教えてくれる。
また、常に勉強を続けることの重要性、全体としての調和や秩序が傑作には不可欠であることなど、芸術家だけでなく誰にとっても重要なことを説かれており、この本が長く読みつづけられてきた一つの理由がここにあるだろう。
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ヘンライが繰り返す「アーティスト的生き方」は、現実的に考えるとなかなか凡人には難しい。全ての人生を芸術の為だけに捧げるのは、お金や家族や安定など、普通の人には問題がありすぎるように感じる。
山口周は「ビジネスの未来」の中で、みんながアーティスト的に生きるための安定的収入=ユニバーサルベーシックインカムを提案する。
これまでの成長至上主義の「小さなアメリカ」を目指すのではなく、格差が是正され自然・芸術・文化に誰もがアクセスできる「大きな北欧型社会民主主義国家」を目指すべきで、そのためには増税が必要だと提案するのである。
芸術家とお金の関係性は昔からの問題で、ルネサンスにメディチ家のマネーが大きく寄与したように、経済的安定性が無いとやりたいことはできないのだ。
「ビジネスの未来」の最後で、山口周は現在の社会を作っているのはこの文章を読んでいるあなただと言う。
また、この世界の問題を「どこかにいる誰か」によって起こされていると考える人は、問題を解決するのも「どこかにいる誰か」だと考えている。この社会を変えたいのであれば「どこかにいる誰か」ではなく、「いまここにいる私」にしか変えられないというのである。
さて、この主張をみなさんはどう考えるだろうか。
少なくとも私には、一考する価値のある主張に思えるのだが。