フランシス・ベーコン「Xアルバム9裏ー叫ぶ教皇を解説 − 叫びを通じ表したかったものとは

2021年1月9日より、神奈川県立近代美術館 葉山で「フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる」が開催されています。(※緊急事態宣言により1月12日より当面のあいだ臨時休館)フランシス・ベーコンの制作過程を解き明かす作品が展示されますが『Xアルバム9裏ー叫ぶ教皇』も本展覧会で日本初公開となります。

20世紀を代表する画家であるフランシス・ベーコンには数々の有名な作品があります。その一方で、それらの作品を完成させる過程で制作されたと思われる習作も存在しますが、『Xアルバム9裏ー叫ぶ教皇』もそのような作品の一つです。

ここでは、『Xアルバム9裏ー叫ぶ教皇』が生まれた時代背景や、ベーコンについて、この作品が制作された理由など、詳しく紹介します。

作品が描かれた時代背景

『Xアルバム9裏ー叫ぶ教皇』が制作された正確な年はわかっていませんが、1950年代の後半から1960年代前半に制作されたものと推定されています。この時期にフランシス・ベーコンは同じXアルバムの作品である『Xアルバム5表ーファン・ゴッホ・シリーズ』も制作していて、一連のXアルバムシリーズの多くはこの時期にまとめて制作されたことがわかっています。ベーコンが生活していた1950年代後半から1960年代のイギリスは、イギリスが戦前に植民地にしていた多くの国が独立した時代でもあり、イギリス国内で人々の価値観が大きく変わろうとしていた激動の時代でした。

フランシス・ベーコン 《Xアルバム9裏─叫ぶ教皇》 1950年代後半-1960年代前半
©The Barry Joule Collection

作者フランシス・ベーコンについて

『Xアルバム9裏ー叫ぶ教皇』の作者フランシス・ベーコンはイギリス人の画家です。誕生日は1909年の10月28日で、当時イギリスの植民地であったアイルランドのダブリンで生まれました。抽象絵画が主流であった20世紀の現代美術において、具象絵画にこだわって制作をつづけた作家として知られています。子供の頃は小児喘息の持病があったために学校には通えなかったため、自宅で勉強をしていました。美術に関する専門的な教育も受けなかったのですが、10代の頃から水彩画やデッサンを描き始め、画家としての才能を独力で成長させていきます。初めて個展を開催したのは1934年のことでした。

また、プロテスタントの上流家庭で育ったベーコンはLGBTQで、幼い頃から女装趣味があったそうです。この女装趣味は退役軍人である父親を困惑させ、怒りを買ったベーコンは勘当されます。その後、ロンドンの暗黒街をふらつきながら同性愛の世界に入り込んでいきます。英国では1967年まで同性間の性交渉は違法でしたが、ベーコンは当時から同性愛者であることを公言しています。このことは作品にも大いに影響しており、同性愛を認めない社会に対する憤りや恐怖、心の叫びは、生涯を通じてベーコンの重要な主題の一つになっていきました。

ベーコンを知るための一冊

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この作品が制作された理由

フランシス・ベーコンが『Xアルバム9裏ー叫ぶ教皇』を制作しようとした理由としてあげられるのは、彼が17世紀のスペインの画家であるディエゴ・ベラスケスに大きな影響を受けていたことです。ベーコンはベラスケスの作品の中でも特に『教皇インノケンティウス10世の肖像』という作品に強い影響を受けていて、『Xアルバム9裏ー叫ぶ教皇』もこの作品からインスピレーションを受けて制作されました。ベーコンには『Xアルバム9裏ー叫ぶ教皇』以外にも、教皇をモデルにした作品を多く制作していて、2つに切断された牛の間に教皇が座っている作品なども発表されています。

ディエゴ・ベラスケス作 《教皇インノケンティウス10世》
wikimedia - パブリックドメイン

第236代 ローマ教皇であるインノケンティウス10世は、
義姉オリンピア・マイダルキーニの支配下にあり、
政治も義姉の意のまま醜い権力争いを繰り広げたとされる。
教皇を美化するのではなく、恐れや内面をベラスケスはありのままに表現。
本作はベラスケスが残した肖像画の最高傑作の1つとされる。

二度の世界大戦、アイルランド独立戦争の悲惨さを経験したベーコンは、「私が描くものは今の世界の恐怖にはかなわないよ。新聞やテレビをごらん。世界で何が起こっているか。それに肩を並べるものは描けない。僕はただそのイメージを描いた、恐怖を再現しようとしたんだ」と語っています。

インノケンティウス10世が持つ内面の負の部分を描き出したベラスケスの肖像画は、ベーコンが何度も取り組んだモチーフの一つとなっています。

作品に使われた特筆すべき技術、技法

この作品に使用されている特筆すべき技法としてあげられるのが、作品の主題である教皇の顔が大きく変形していることです。ベーコンはこうした技法を、彼が強い影響を受けたベラスケスやゴッホから学んだとされていて、作品『Xアルバム9裏ー叫ぶ教皇』の中でも、教皇は上を見上げながら口を広く開けて、顔を歪ませています。この作品のモデルとなったベラスケスの肖像画とは非常に対照的な表情で描かれているこの作品は、教皇という立場の苦しみを、叫びの表情という形で表現していると言われています。

作品の魅力

『Xアルバム9裏ー叫ぶ教皇』の魅力は、ベーコンの代表作の一つである『叫ぶ教皇』シリーズの制作過程を知ることができることです。この作品自体は習作であるために、大まかな輪郭や色を塗っただけで完成されていますが、こうした多くの習作を練習台としてほかの有名な『叫ぶ教皇』シリーズの絵画が完成されたことを考えながら鑑賞すれば、ベーコンの作品に対する理解をより深めることができます。

2021年1月9日から4月11日まで神奈川県立近代美術館葉山で開催されるフランシス・ベーコン展に足を運び、ベーコンの創作過程に触れてみてはいかがでしょうか。
※緊急事態宣言により1月12日より当面のあいだ臨時休館


神奈川県立近代美術館 葉山 フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる

フランシス・ベーコン 《自画像の写真上のドローイング》 1970年代–1980年代頃 ©The Barry Joule Collection

企画概要
フランシス・ベーコン(1909-1992)はイギリスを拠点に活動し、唯一無比の具象画を確立してピカソと並び称される、20世紀を代表する画家です。アイルランドのダブリンに生まれ、独学で絵画を学んだのちに、ベラスケスやファン・ゴッホを参照しながら歪んだ身体や咆哮するかのような表情の人物画を描き、独特の三幅対シリーズなどで同時代の美術界に多大な影響を与えました。生前はもちろん死後も多くの展覧会が企画され、世界各地の美術館に作品が収蔵されています。 ベーコンが生前けっして世に出すことのなかった「秘密」 ―― 作らないとされていた素描、参照していたおびただしい印刷物と、そこに描かれた線や図像、そして、そのほとんどを破棄したと言われていた、シュルレアリスムに傾倒した若き日の絵画たち。本展では、死の直前までこの巨匠がひそかに手元に残した初期絵画作品や素描、資料など約130点を日本で初公開します。生前には明らかにされなかったそのインスピレーション源を紐解き、孤高の画家の真の姿に迫ります。

※緊急事態宣言により1月12日より当面のあいだ臨時休館
開催概要
会場 神奈川県立近代美術館 葉山 葉山館 展示室2–4
会期 2021年1月9日(土曜)– 4月11日(日曜)
休館日 月曜(1月11日は開館)
開館時間 午前9時30分 – 午後5時(入館は午後4時30分まで)


左上:リチャード・ハミルトンのスタディオでのフランシス・ベーコン(右)とバリー・ジュール(左) 1986年 ©The Barry Joule Collection
右上:フランシス・ベーコン 《『戦艦ポチョムキン』の中の乳母の写真上のドローイング》 1970年代–1980年代頃 ©The Barry Joule Collection
左下:フランシス・ベーコン 《エドワード・マイブリッジの連続写真上のドローイング》 1970年代–1980年代頃 ©The Barry Joule Collection
右下:フランシス・ベーコン 《ヒヒの写真上のドローイング》 1970年代–1980年代頃 ©The Barry Joule Collection


ベーコンをより深く知る一冊

「ベーコンはいつも器官なき身体を、身体の強度的現実を描いてきた」「器官なき身体」の画家ベーコンの“図像”に迫りながら「ダイアグラム」と「力」においてドゥルーズの核心を開示する名著。ドゥルーズ唯一の絵画論にして最も重要な芸術論、新訳。

Editor’s voice

ベーコン作品はデヴィット・リンチやベルナルド・ベルトルッチなど様々な映画監督やアーティストに影響を与えているようで、ティム・バートンの『バットマン』(1989)で、ジャック・ニコルソン扮するジョーカーがゴッサム・シティの美術館に飾られているルノアールやレンブラントに落書きするシーン。フランシス・ベーコンの作品だけは「これはダメだ、気に入った」と言って落書きを免れるのは非常に印象的です。

ぐにゃりと曲がった顔や身体など、見る人にとってはぎょっとする絵も少なくないのですが、LGBTQだったことが原因で、社会や家族と孤立したベーコンの心の苦しみが作品を通してダイレクトに伝わってしまうから、人々の心の中に強く印象を残すんだと思います。また、法に逆らってまで自分に正直に生きることを選択したことも、今のジェンダーフリームーブメントの一つの要素としてつながっているんだと思います。- Muneaki Suzuki

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